手前 鹿島鉄道キハ431
中央 ひたちなか海浜鉄道キハ11(風)
奥 ひたちなか海浜鉄道キハ3710旧色
こっち側を同じ位置にして・・・
こっち側を見ると、全長1.5mの差がわかります。
キハ431(旧加越能鉄道)が16.5m車として製造された1957年、まだ気動車は発展途上で、国鉄キハ17系あたりでも、車幅は狭く・屋根は薄く、軽量化が優先され運用も地方が中心でした。
国鉄こそ20m車を導入したものの、地方私鉄ではDMF13(120psくらい)を積んだ短い車輛も多く導入されました。
キハ11の製造が始まったのが、1988年。この2輛の間に流れた30年の間に、気動車は一大発展を遂げ、そして既に衰退のプロセスにまで進んでいました。
DMH17を積んだ大勢力の車輛たちが全国を駆けまわった後、出力を向上させたキハ40系が後を継ぎ、民営化を挟んで国鉄・JR自身が20m級ではない地方線区専用車を製造。エンジン性能は格段にアップしたものの、もう20m車を何輛もつながなければさばけない輸送需要はなくなっており、特急用を除く一般型気動車は単行を前提とした両運転台車ばかりが多く製造される時代になりました。
キハ11とキハ3710は、新潟鐵工所が製造した軽快気動車。
(キハ11の100・200番台はJR東海名古屋工場製)
主要寸法は同じはずですが、マイクロエースと鉄コレの設計の違いから、若干の寸法差が見て取れます。
鉄コレのほうが、ほんの僅か長い感じ。
こちら側は、確認窓とドア位置が若干違います。
こちら側は、乗務員室扉の有無。
屋根上では、キハ3710はクーラー2基、キハ11はクーラーが1基です。
台車からスカートまでの距離でわかるように、台車中心間距離も違う(キハ11が短い)し、台車の軸距も違います(キハ3710が短い)。
正面の造形も、マイクロエースのほうがやや丸っこい感じです。
キハ431と比べると、1957年当時はあまり多くなかった自動車との衝突を考慮したスカートの有無(ひたちなか海浜鉄道キハ11は強化形スカートですが、そこまで改造していません)などが、時代の違いを感じさせます。
最近の車輛はヘッドライト位置が低いですが、明るく強い光を発する灯具になったから、高い位置でなくてもいいのでしょうね。
実際の利用状況を見ると、湊線でもラッシュ時に2連とすることを前提とすれば、日中はキハ431クラスでも充分な需要。
小さな気動車が単行でトコトコ走る・・・。それが当たり前の時代。
気動車の世界は、鉄道が辿ってきた栄枯盛衰?を最も感じるところかもしれません。
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