キクハ11は、1957年11月製造。最初はエンジンのない付随車で、その後エンジン搭載→エンジン撤去を経て制御車となった車です。
最初付随車だったときはキサハを名乗ってたんだから、キクハなら制御装置はあったんだよね??
筑波鉄道では、私が知る限り最後の頃は全く動いている姿を見たことがありません。
1987年3月の廃止直前、真鍋機関区の片隅で、キクハ11の解体作業が始まりました。
ドアにステップがありウィンドシル・ヘッダーもある、昭和30年代製造としてはずいぶん古めかしい姿でしたが、ステップがなければ名鉄3800系あたりにも似て、日車製運輸省規格型を思わせる車で、私は好ましいスタイルだと思っていましたので、バーナーが入れられた姿を見て、とても可愛そうに思いました。まだ、まる30年生きていないのに・・・。
3月18日。窓枠や内装、ドア・テールライト等が取り払われ、解体が始まっていました。
3月19日。既に前日には側柱にバーナーが入っていましたが、この日はまだ原形を保っていました。
社内に1枚だけ残った広告。「サンキュー」という言葉は、キクハ11の辞世の言葉なのでしょうか・・・。どちらかといえば不遇な車輛だったと思いますが、キクハ11自身はどう思っていたのでしょうか・・・。
向こうに見える、筑波鉄道最終日まで活躍したキハ760は、キクハ11よりも少し早い生まれです。
車体全周の側柱上部が、バーナーで焼き切られています。
19日夜。まるでデスマスク。
22日の夜行ってみると、屋根は落とされていました。
無蓋車になってしまった・・・。
社紋と番号標記は、まだ自分が鉄道車輛であることを必死で訴えているようにも見えます。
3月28日。車体上部はなくなっており、台枠も切断されていました。
切断された台枠と、菱枠台車。
反対側の端面は、地面に落ちています。
屋根も、もうバラバラになっていました。
廃止時点での資産にならないように、大急ぎで解体したのでしょうか?
ほぼ同じ生涯(昭和32年製)のキハ760も、筑波鉄道廃止後は鬼籍入り。
つくば交通公園へ搬出されたキハ462が今ではピカピカになって交通博物館にいますが、車輛の生涯にもいろいろあるんですね・・・。
(知人撮影。文章も少しいじってはいますが、知人によるものです。)
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