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2016/01/30

1985.2.19 ●スハ42 2048


1985年2月19日撮影の、古い写真が出てきました。


古色蒼然とした、●スハ42。
でも、これが普通~に走ってたのです。


やや軽量化されて「オ」級になった、●オハフ46。
たしか、この写真は、湯本駅で撮ったものです。
水郡線で常陸太田へ、日立電鉄で常北太田から大甕へ、常磐線で湯本まで行って、戻るときに乗った仙台発水戸行きだったはず。


たくさんの丸管蛍光灯がある車内。
常磐線から旧型客車が消える頃だったので、乗りに行ったはずです。


洗面所。清潔な感じはしませんね・・・。

運用終了直前のこの頃は、既に上野口までは顔を出してはいませんでしたが、70年代終わりころは、常磐線はまだ1日に4往復くらいの客車列車が上野に出入りしていたと思います。
上野発5:50の仙台行(2番列車)には、名古屋からの344M→山手線始発から乗り継いで何回か乗ったことがあります。始発の電車にも間に合うのですが、上野で少し待って敢えて客車列車に乗ったのです。
上野発5:50の長大客車列車は、水戸到着の頃にラッシュ時間帯だったはず。利用していた人は結構大変だっただろうと思います。
土浦発の2番列車で浪江まで、急行で盛岡までつないで、青森までまた旧客列車(スハ32でした)。そして、深夜の青函連絡船で函館へ。すぐに乗れる連絡船は、近い時刻に到着した特急からの乗り継ぎが多く混むため、1便あとに乗って、のんびりと函館へ行った記憶があります。
函館について最初に耳にしたのは、エルビス・プレスリーが死んだというニュースでした。
動き始めた市電に乗って谷地頭温泉へ行って身支度を整え、函館在住の女性と一日デート。
楽しかったですね!


この写真の、右側の黒いところは、外。
オハフの最後尾で撮ったのだと思います。扉もなしに、ただ、外。
客用扉も開いていますが、多分走行中写真だったと思います。
高校生なんかは、ちらりと見える外手すりにつかまって、一段下がったステップ部から身を乗り出すようにして乗っていました。
また、ドアが自動で閉まるわけではないので動き始めてからでも乗り降りできます。たしか、常磐線各駅には、「動き始めた列車に乗り降りしないでください」みたいな注意書きが貼ってあったような記憶があります。

今ではとても考えられない、おおらかな時代でしたね・・・。
自連の遊間の関係でガンガンガンガン・・・と音を立てながら発車するなんてことを知っている人は、どのくらいいるのでしょうか?

写真は、この5枚だけでした。


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